立川の実家で見つかった「桜田門外の変」の古文書

「桜田門外の変」の一報を伝える古文書 歴史

2011年に実家の立川の古い家を取り壊した際に、「桜田門外の変」の一報を伝える古文書が出てきました。

以下の内容だそうです。

今朝登城掛け、外桜田松平大隅守前より上杉弾正大弼辻番所までの間にて、狼藉者鉄砲打ち掛け、およそ二十人余り抜き連れ、駕籠を見懸け切り込み候に付き、供方の者ども防戦致し、狼藉者一人打ち留め、其の余、手疵・深手等負わせ候に付き、追々逃げ去り申し、拙者儀取り押さえ方等指揮致し候処、怪我致し候に付き、一先ず帰宅致し候。尤も供方即死・手負いの者ども別紙の通り御座候。此の段御届け申し達し候


(今朝登城の途中、外桜田の松平大隈守邸前から上杉弾正大弼辻番所までの間で、狼藉者が鉄砲を撃ちかけ、およそ二十人余り連れ立って抜刀し、駕籠を見かけると斬り込んで来た。供の者たちは防戦し狼藉者一人を打ち留め、その他の者どもに手疵や深手を負わせたので、次々と逃げ去った。私は取り押さえ方を指揮していたところ怪我をしたので、一先ず帰宅した。なお、供の者ども即死・手負いの者の氏名は別紙の通りなので、此の段お届け申し上げる)

近世こもんじょ館−【れぽーと館】

小説家、吉村昭著の『桜田門外の変(上・下)』にも詳しく記述があります。

立川村の立川斎宮さんが私のご先祖様になります。

新聞の地方面にも載りました(朝日新聞 2012年2月12日。多摩版)。

「立川の民家に「桜田門外の変」の文書」の見出しで掲載された

コメント

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